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  • 2021.03.08 Monday
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恋ごよみ

 日曜日に大阪の北区の「ミュージックショップあこや楽器」で5か月ぶりに、工藤あやのさんの歌声を聞きました。

一昨年閉店になった、十三の恵比寿堂のような感じの店でした。楽器も売っている恵比寿堂ですね。

 

 あやのさんの歌唱曲は

 

 恋ごよみ (1コーラス)

 

 故郷さん、あいたいよ

 

 わたしの太陽

 

 漁火恋唄 (原曲は小柳ルミ子)

 

 ときめきロマンス

 

 恋ごよみ

 

 でした。

 

 初めて生で実は好きな「わたしの太陽」が聞けたことがすごく嬉しかったです。(21世紀版の「下町の太陽」です)

 

 「ときめきロマンス」は「恋ごよみ」のカップリングで今までにないあやのさんらしくないポップス調の歌でした。

 

 サイン会に行って今回も握手してもらいました。観客は私よりも年長の方ばかりでした。((笑)

 

 今後、彼女がどうなるのかわかりませんが「息の長い歌手であってほしい」です。

 

 今日はもちろん、工藤あやのさんの「恋ごよみ」です。↓

 

 https://www.youtube.com/watch?v=e_EZu23shvA


ありがとう、上田利治さん

 1日に、かつての名門チーム「阪急ブレーブス」の監督で昭和50〜53年までブレーブスを日本一に導いた、上田利治さんが80歳でお亡くなりになりました。

 大学時代は阪神タイガースで活躍した村山実さんとバッテリーを組み、プロでは広島東洋カープでたった3年で引退、25歳の若さでコーチとなりましたが、後に「球界の寝業師」といわれた根本陸夫さんが監督の時に対立して広島を退団、その後当時のチームでの同僚の山内一弘さんの勧めで阪急ブレーブスのコーチとなり、49年には近鉄の監督になった西本幸雄さんの後を継いで監督に就任し、

50年の初の日本一、51年の第7戦での足立光宏投手の好投による日本、ヤクルトスワローズに敗れた53年には第7戦の大杉勝男さんのホームランに対して「今のはファウルだ!」と1時間19分もの猛抗議!などがありますが、このころはまだもの心ついていないので、

56年に復帰してからの印象が強いです。59年のパ・リーグ優勝(球団3000勝でもあります)、そして63年にオリックスへの身売りが決まった時の上田さんの「ブレーブスは阪急の物でも、オリックスのものでもなくファンの皆さん一人一人のものです」とおっしゃったことが、当時身売りでショックを受けていた私の心を慰めてくださいました。

 

 それにしても、オリックスバファローズは冷たいですよね。後に監督になった日本ハムファイターズの方が、選手たちは喪章をつけて、東京ドームでファイターズの選手が「東映フライヤーズ」のユニフォームを着た試合で上田さんの功績を称えるVTRを流して黙とうをしたのとは大違いですよね!

 

 上田さん、ありがとうございました。貴方のおっしゃられた通り「阪急ブレーブス」は私のこころに今でも生きています。

西本幸雄さん達と仲良くお酒でも飲んで楽しんでください。

 

 今回は、昭和51年の巨人との日本シリーズの映像です。↓

 

https://www.youtube.com/watch?v=D42e9OcGACs


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